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1999年 ペロポネソス半島1

第4日目 1月31日(日)

アテネ滞在4日目にペロポネソス半島一日観光に参加した。

 コリントス運河 1893年
ペロポネソス半島はピレウス海を挟んで向かい側に見えます。
でも、アテネのからペロポネソス半島に行くには、いったん北上してコリントス運河を渡らなければ
行くことが出来ません。見えているのに遠いのです。
半島といっても、湾の先というより、でっかい島が、おできのようにくっついてると言った方が
いいかもしれません。世界地図をお持ちの方はご覧になってください。
ねっ!広いでしょう?
その付け根のくびれた所がコリントス運河なのです。

アテネから西に80kmにある半島を目指してバスは北上します。
外の景色は岩肌がむき出しの白い山と、わずかに生えている丈の短い草。
左手にはピレウス海が見えてきた。昨日アゴラからわずかに見えた海だ。この先はエーゲ海。
昨日クルーズに行った人たちにとってはゲーゲ海ということになる。
約1時間の間、ペロポネソス半島ガイドのケイコさんは、ずっとしゃべり通しだった。
ケイコさんは日本人で、生まれも育ちも日本らしいが、ギリシャの虜になり住み着いてしまったという。
それでもって、ギリシャ人と結婚しガイドの仕事をしているという、熱いお人でした。
60歳近いマダームで、なが〜い真っ赤なマフラーがよく似合うモダンな方です。
テレビ番組の「不思議発見」でギリシャの時のクイズ出題者がケイコさんだったそうです。
「名前が出たのよ!」と言っていたが、実は、ケイコさんのフルネームはやたらめったら長い。
中間をはしょって書かれたのだろう。
とにかく、ケイコさんの説明はバスの中に響き渡っていたのだが、私は半分上の空だった。

半島の玄関口、運河に到着。
運河は細長〜く、と〜っても深い。
えっと、私の当てにならないメモによると、深さ80m、長さ6kmとあります。
底の幅が狭くて、船だったら1隻しか通れない。すれ違うことは出来ないでしょう。
80m上部はすり鉢状なのでやや広くなります。それでも、ほぼ垂直に切り立った絶壁です。
この絶壁が6kmつづいてるわけです。
はるか下に流れてる水の色が素晴らしいブルー!
絵の具の群青色を大量に流したような青!バスクリンを1本どぼどぼ入れたような藍!
宝石のエメラルドのような吸い込まれそうな蒼!
絶壁の切れ込みもみごと!岩色を見て中国西安の大雁塔の壁色を連想した私でした。
白い鳥(カモメ?)だけが絶壁に止まれてました。
人間ではロッククライマーぐらいしかよじ登れないでしょう・・・いや、無理かな。

 写真ではブルーが現れない・・・


おまけ ギリシャのお菓子 
昨日のスタンドで買ったプリンは具合が悪くなるほど甘かった!
ギリシャのお菓子はどれも甘いのだろうか?
トイレ休憩に寄ったドライブインで私は懲りもせずお菓子を買った。
見た目にはどれも綺麗だし、美味しそうなんだもの・・・
中でも、飴色をした外側がカラメルらしきケーキを買ってみた。
紙の袋に入れてくれて渡された。あとで、おやつに食べようとカバンの中に入れてそのまま
遺跡を巡ってる間、遺跡に夢中でお菓子のことは忘れてしまった。
ホテルに帰って思い出し、取り出したらいっしょに入れてあった文庫本にくっついて本が
べチョべチョになっていた。
「あちゃー、やっちまっただよ・・・」本にかけていた皮製のカバーがベトベトになってしまったので、
洗ったら縮んでしまって、もったいないことした。
(もちろん、縮んだけど大事に使ってます)そして、問題の味はというと・・・
あま〜い・・・うわあ、だる〜い・・・なんじゃこりゃあ・・・パス・・・」と昨日の二の舞だったのでした。
本当に懲りない私でした。

 コリントスの遺跡 紀元前7世紀
現在は内陸に8kmほど入った所にありますが、その昔は海運貿易で栄えた港に位置し、
地中海全域を牛耳っていたわけやね。その証拠にコリントスの壺が世界各地で発見され、
その繁栄ぶりを裏づけている。(壺に入れて運搬していたから)
遺跡の構内に博物館があり、この有名な壺を展示していたはずなのに記憶にありましぇーん。

アポロン神殿 紀元前6世紀
木造神殿から石造に移行し始めの初期のものなので、ひとつの石から柱を作っていて、
まだ技術的に未熟である。ちなみにパルテノン神殿に柱は16個だったけかなあ・・・
正確な個数は忘れたけど、何個も重ねて1本の柱にしてるんですよ。
ここのは石というより砂の柱みたいだった。ぶっといドリス式の柱が7本残ってました。
ドリス式柱はコリントス人の発明ということになるのでしょうか?

 かなり古いということが黒ずんだ色からうかがえる


ストア 紀元前4世紀
神殿から一段低くなった所が広場になっている。旧コリントスのアゴラだ。
広場を囲むように商店街(ストア)があったという。そう言われなければわからないが、
ひとつだけ円形の屋根を持つそれらしき建物が残っていた。
広場の中央には演壇があった。
ケイコさんが言うには「聖パウロがここで説教をしました」といいます。
そういえば・・バスの中でも、「ここの岬にパウロが着いて、キリスト教をギリシャに広めました」
とか言ってたっけ。ふ〜ん、パウロねえ。その前はユダヤ教だったの?
また、広場の南端には広場が競技場として使われてた時のスタートラインが残っていました。
石膏の白線じゃなくて、石で。(わかってるっちゅうに!)

 ストア跡とアクロコリントス山。山の頂上には城壁がある。
私のギリシャを象徴する印象的な風景のひとつに山の風景があるが、ギリシャ中どこに行っても岩山だった・・・
そして、山頂には茶色の城壁が見られるのだ。


ピレーネの泉 ローマ期
古代の貯水場。この建物は今でも充分使用可能なほどしっかりしている。
現在でも水の流れる音は聞こえるし、自然の水が流れています。
排水溝がありましたが、ここに流れてくるほどの水量は今はありません。
恐らく雨が降れば満水になって流れてくるのかもしれません。
この遺跡の見どころとしては、神殿とこの泉かな・・・

水洗トイレ ローマ期 
大浴場に付設されていたローマ式トイレ。建物は跡形もない。
大理石の板に穴があいてるだけだが、穴の下には水が流れていて自動水洗トイレだった。
さすが、ローマ帝国は衛生的ですよねー。
水がふんだんに使われていたのはローマ時代の特徴ですよね。
水道橋の建設もそうじゃあーりませんか、ねっ。
ケイコさんはトイレに腰掛けて「ほらほら、この下を水が流れっぱなしだったのよ」と説明してくれた。

 トイレに腰掛けて説明するケイコさん


博物館
ここの目玉はなんといってもコリントスの壺!なんだけど・・・覚えてな〜い、どういうのだっけ?
他に新石器時代からローマ期までのここで発掘されたものと、この地方一帯で出土したものが
展示されている。
私がこの博物館で覚えているのは、アルカイック・スマイルが何かに似てると、
ずっと思い出せなかったのを思いだした事である!
きのうも、おとといも、アルカイック・スマイルをたくさん見てきた。
その度に「何かに似てるよなあ、なんだろう?」「どっかで見たぞ、どこでだ?」の連続で
気持ち悪かったのだ。
そこでここの博物館で見た、顔は人間、体は翼が生えたライオン(スフィンクス)の
アルカイック・スマイルの像をみて・・・
わかった!」「もののけ姫のシシ神だ!」ああ、すっきりしたあ。
そう!宮崎駿さんがアルカイック・スマイルをモデルにしたかどうか定かでないが、シシ神だ!
ふー、やっと思い出した・・・あの微笑よ。

劇場跡(紀元前5世紀)と音楽堂跡(ローマ期) 
博物館を出てすぐの所にコリント様式(コリントはコリントスのことなんだ!これも発見の一つ)の
3本の柱がありました。目立たないのでみんな素通りしてしまいますが、
短いながらも柱頭の細工は紛れもなくコリント様式の美しさを残していました。
「(おいおい、なんで素通りやねん!見ておこうよ・・・)」

 見ておこうよ・・・


ゲラウケの泉
これまた目立たない所に、地味にあるんです。
一見、物置小屋のような遺跡はグラウケの泉といいまして、悲劇の泉なのでありまする。
以下にそのお話を書きますが、興味のない方はとばしてください。

「魔女メディアの復讐」
黒海の東沿岸コルキスの王女メディアは、魔術が使えた。
彼女は金羊毛を求めてやってきた英雄イアソンと恋に落ち魔術を駆使して彼を助け妻になった。
しかし、わけあって2人は彼の故郷イアルコス(ギリシャ北西部)を追われることになり、コリントスまでおちのびた。
コリントスの王が娘グラウケと結婚を条件に王位継承を申し出ると、イアソンはメディアを捨てた!
怒ったメディアは、毒を塗った花嫁衣裳をグラウケに贈る。
これを着たグラウケは火だるまになり、助けようとした王も焼け死んだ。
この時熱さのあまり飛び込んだのが、この泉です。

なんで復讐の対象がイアソンじゃないのか?女はわからないねえー。
伝説だけではなく、旧コリントスは古代売春婦たちの宿として当時良く知られている所だった。
そりゃ、海の男たちが交易で賑わっていたわけだから、ロマンスの話は事欠かなかったろうし、
泉に命を落とした悲劇も事実あったかもしれない・・・そんなことを思った。
悲劇のついでにピレーネの泉にまつわる話も・・・興味のない方はとばしてください。

「悲劇ピレーネの泉」
河神アソーポスの娘ピレーネは、海神ポセイドンとの間に2人の子供があった。
しかし2人とも悲惨な死を遂げたため、ピレーネは悲しみのあまり泣き止むことが出来なかった。
やがて、涙で彼女の体は溶けて、そこに泉ができた。それがピレーネの泉。

アクロコリントス山 
遺跡の南西に標高575mの山が見える。山頂には要塞の城壁がぐるり張り巡らされている。
印象的だった。日本では、いや中国では山頂に城を構えるのは滅亡に繋がるとして嫌われている。
山の中腹に構えるのが良いとしている。日本ではひとり例外の反逆児がいた。織田信長である。
安土城はてっぺんにあった。やめときゃいいものを・・・
あ!で、アクロコリントスですが、ローマ期にはアフロディーテ神殿に1000人もの女司祭が
つかえていたといいます。
山はあくまでもゴツゴツした白い岩肌剥きだし・・・頂上の城砦は茶色・・・
この光景は私にとって忘れられないギリシャの風景のひとつになったのでした。
人の記憶なんておかしなもので、その時はさして気にも留めてなかったことがいつまでも
追いかけてきたりして。だから、印象に残ってて伝えたいものほど写真はないし、写真をみせたところで
伝わるものでもない、と思っています。
映像は、たとえ見る対象が同じでも、ひとりひとりの記憶には別々に焼きこまれるものですから・・



ペロポネソス半島2につづく





vol.70

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